IE9ピン留め

120才をめざす会

2012年1月28日は、大久保あい子先生100才の誕生日でした。

水戸市倫理法人会、宮田久雄会長の音頭で大久保あい子先生120才をめざす会が催された。

百才の誕生日を祝うと共に120才まで長生きしていただこうとの思いで開催されました。



大久保先生は「忙しい」「疲れた」を決して言葉にされない。

常に前向きの言葉を発し続け、自分が学び続けなければ子供が成長しないと信じている。

子供さんは皆さん立派な方で60才を過ぎているが、今でも子供達の成長を願って倫理の実践を続けている。

この偉大さは、当たり前の日々を丁寧に生き続けて来られた偉大さであり、まさに一灯照隅の生き方だ。

国の宝、日本人の宝、人類の宝だ。

# by 8jyou | 2012-01-29 14:49 | 倫理法人会 | Trackback | Comments(0)

致知メルマガより

今朝のメルマガは昨年10月21日に行われた第2回社内木鶏全国大会で事例発表に先立ちスピーチをされた浦田理恵さんのスピーチの紹介だ。


※人間力を高める2012年に──。
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

       【2012/1/28】 致知出版社編集部 発行
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 かかる費用は社員一人につき、1万円。
 かかる時間は毎月たったの1時間――。

 『致知』を使った社内勉強会「社内木鶏(もっけい)会」が
 いま、全国600社以上の企業などで実施され、
 大きな成果をあげています。

 昨年10月に東京で1,200名以上の方々にご参加いただき、
 開催された「第2回社内木鶏全国大会」では、
 浦田理恵さん(株式会社アソウ・ヒューマニーセンター勤務)に
 特別発表をしていただきました。

 浦田さんは、来年の「ロンドンパラリンピック・ゴールボール競技」に
 出場する日本代表選手でもいらっしゃいます。

 弊社より「感動奨励賞」を授与させていただいた
 浦田さんのスピーチをご紹介いたします。 


………………………………………………………………………………………………

◆目が見えないことが、いつしか「苦しみ」ではなくなっていた

  (株式会社アソウ・ヒューマニーセンター勤務 浦田理恵さん)

………………………………………………………………………………………………


皆さん、こんにちは。

私は九州の福岡からきました、
アソウヒューマニーセンターの浦田理恵と申します。
皆さん、お分かりにならないかもしれませんが、
実は私は視覚に障害があります。

活字を見ることも、相手の表情を見ることもできません。


私が視力を失ったのは、教職の免許を取るために
福岡の専門学校に通っていた20歳の時でした。

卒業を間近に控えた頃、網膜色素変性症と診断され、
僅か3か月で左目の視力を失い、
右目もわずかに光を感じるくらいまで
低下してしまったのです。

何もできなくなった自分が生きている意味があるのだろうか。

いろいろと悩み苦しみ、どん底にまで落ち込みました。
独り暮らしをしていた私は
誰とも会わずに家の中に引きこもり、
熊本の両親にも友達にも真実を伝えられないまま、
一年半が過ぎていきました。


失明したことを思い切って家族に伝える決心をしたのは、
数年ぶりに熊本に帰省した時でした。

駅の改札口まで迎えに来てくれた母は、
私のぎこちない仕草を見て
最初はふざけていると思ったそうです。


「お母さん、私はもう何も見えん」。


近寄ってきた母にそう率直に打ち明けると、
母はその場で泣き崩れてしまいました。


でも、この時、自分の思いを一気に吐き出せたことが、
一つのステップになったと思っています。


私がどんな状態になっても絶対に見捨てずに
温かく包み込んでくれる家族がいるのが
どれほどありがたいかを、しみじみと感じたからです。


人生に絶望していた私が、現在、前向きに頑張れるのは
この安心感のお陰です。


さて、前置きが長くなりましたが、
私は縁あって2年半前、
ヘルスキーパーとしてアソウヒューマニーセンターに入社しました。
その一方、女子ゴールボール競技のアスリートとして
厳しい練習に励む毎日を過ごしています。


当社で社内木鶏会がスタートしたのは昨年の11月でした。
最初


「木鶏会をやるから朝7時に集合ね」


と上司から言われた時は、
まるで他人ごとのように聞いていました。


私が所属するシーズアスリートには視覚障害者が4人いますが、
活字を普段目にすることのない私たちにとって、
木鶏会への参加はないものと考えていたのです。


しかし、上司や周りの社員の方々が私たちの成長を考えて、
何とか一緒にできないかと、
忙しい中時間を作って『致知』を読んできかせてくれたり、
PCにおとしてメールで送って音声ソフトで読ませたりと、
できる方法を一緒に考えてくれました。


できない理由を並べて甘えるのではなく、
一つでもできる方法を考え、トライすることが
成長の第一歩であると教えていただいたのは、
とてもありがたいことでした。


木鶏会に参加することで、
普段情報が入りにくい私は多くの刺激を受けています。
『致知』7月号の中では
「代受苦者(だいじゅくしゃ)」といういうワードに出会いました。


「災難や苦しみを自分の代わりとなって受けてくれる人」

という意味で、本来どこで起きてもおかしくはなかった
3月11日の大震災を、
東日本の方々が私たちの代わりに受けてくれた。
そう思うととても他人ごととは思えませんでした。


その時の話し合いの中で、ある方が私に向かって言われました。


「浦田さん、私の代わりに見えない不自由さを
 感じてくれてありがとう」


そう言われて私はあることに気づきました。
最初は見えなくなって怖くて不安で悔しくて
どうしようもない日々を過ごしていた私が、
沢山の温かな励ましや、ハード面・ソフト面のサポートのお陰で、
今は見えないことを忘れてしまうほど
毎日笑顔で過ごさせていただいていたのです。

周りの真心でいつしか目が見えないことが
「苦しみ」ではなくなっていたのです。


このようにお互いに支え合う仲間がいるのは
本当にありがたいことです。
木鶏会では普段同じ職場にいても
あまり話したことがない人とも
コミュニケーションがとれます。


その人の名前と声を一致させることに加え、
自分にはなかった考え方に出会い、
仕事でもプライベートにおいても
当事者意識を持っていかに自分の行動レベルに
落とし込んでいくかのヒントを得ることができます。

そして、何よりも、参加者同士がお互いに共感しあい
一体感を感じることができるのが
素晴らしいと感じています。


私はアスリートとして昨年のアジア大会女子ゴールボール競技で
銀メダルを獲得し、ロンドンパラリンピックへの出場権を
手にすることができました。

これからの練習が勝負です。
その意味で私にとって月1回の木鶏会は、
自分の気持ちをリセットし、
やる気を高める大切な場となっています。


社内木鶏の美点凝視の精神により私も笑顔、みんなも笑顔。
笑顔のキャンドルサービスが会社中、
そして日本中に広がっていったら、
どんなに素敵な社会になるだろう。

そんな夢を描きながら、
これからも前向きに頑張っていきたいと思います。


本日はご清聴いただき、ありがとうございました。



今日この文章を読んで、あの日の浦田さんのスピーチから受けた感動を改めてかみしめることができました。

人生の途中で目が見えなくなることの恐怖、絶望。

自分に置き換えたときに浦田さんのように立ち上がれるだろうかと思ってしまう。

よくぞ元気に生きてくれている。

あなたが元気でいてくれることが、どれほど多くの人々の励みになっているか。


そう思うと、自分も元気で生きることで、身の回りの人が明るい気持ちでいられるのだなと、あだや人生をおろそかにはできないなと思い返すのでした。

# by 8jyou | 2012-01-28 10:19 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

モーニングセミナー

今朝のモーニングセミナーは若槇正子法人スーパーバイザーの講話だった。

演題は、「よっぽどの縁」

人は一生にどれだけの人と出会えるだろうか。

そして人生のある時期を一緒に過ごす人がどれだけあるだろうか。


そう考えると、親子、兄弟、夫婦、社員、お客様との御縁はよっぽどの御縁なのだ。

倫理法人会の仲間もよっぽどの縁だ。


モーニングセミナー後、朝食を食べて、水木電気工業さんに出前朝礼に行きました。

倫理法人会では、活力朝礼を勧めています。

社員さん一人一人が、元気を出して、充実した一日を送っていただきたい、会社の業績も伸ばしたいと経営者の皆さんは考えていることでしょう。

しかし、どこから始めたらいいのかよくわからないと思っていることでしょう。

そのヒントが、ここにあります。

2月21日には、倫理経営講演会を開催します。

その際に、活力朝礼の実演を行います。

どなたでも出席できますので、ご参加下さい。



# by 8jyou | 2012-01-25 12:40 | 倫理法人会 | Trackback | Comments(0)

タマゴボ-ロ

竹田製菓のタマゴボーロは誰でも一度は食べたことがあるだろう。

竹田製菓の社長は竹田和平さん。

竹田和平さんは個人投資家としても有名な方らしい。

私と竹田氏の出会いは、ありがとうを年間100万回言う運動をされていることでした。

小林正観さんと同じ考えを持っている人がいるんだと思い、私もありがとうを年間100万回言い続けている。


そんな竹田和平さんが社長を務める竹田製菓のタマゴボーロの製造過程を昨日のテレビでやっているのを何気なく見ていた。

すると、生地を球状にして焼くときに、何と子供100人の声で「ありがとう」をテープに吹き込んで流し続けているそうだ。タマゴボーロは出来上がるまでに100万回の「ありがとう」を浴びるのだそうだ。

不思議なことに、それをやってから売上が25パーセントも伸びたとか。


「ありがとう」には不思議なパワーがあるのですね。

究極の欲張り人間は「ありがとう」を言い続けているのですね。


ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

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# by 8jyou | 2012-01-22 19:09 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

倫理経営講演会

今年の常陸太田倫理法人会の倫理経営講演会は2月21日にグランドスラムカントリークラブで夕方6時30分から開催される。

私が会長になって初めての倫理経営講演会だ。

沢山の人が来てくれると嬉しいな。



「純粋倫理とは」の解説文 ゆっくりと10回読んでみてください。

自分をとりまく多くの人々や、物や自然との関わりなしには生きられない私たちです。
そこには、おのずから社会生活の規範が生まれます。 人と人、人と物、人と自然の間にある道。人間の行なうべき道筋。くらしみち。

――それが純粋倫理です。物の世界に「物理」という法則があるように、人間には「倫理」という法則があるのです。 「こんなときどう行動すればいいのだろう」「どんな姿勢、どんな心がけが幸福を招くのか」「人間関係をよくする秘訣はあるか」「人生の岐路にたったときの心構えがほしい」「この苦しみをどう受け止めればいいのか」……そんな問いに答える人生の指針、道しるべとして、人のあるべき道を純粋倫理は示します。

それはただ知っているだけでは意味がありません。実際にやってみることで、正しさがわかるもの。実生活に役立ててはじめて、「なるほど、倫理とはこういうことか」と腑に落ちてくるものです。 人間生活の規範といえば、一般に「道徳」という言葉を連想します。もちろん道徳は、先人の叡智の結晶として尊ぶべきものですが、反面、特定の時代や民俗にしか通用しないものだったり、「~べし」「~しなければならない」と規制ばかり強くて、窮屈な面があります。また、それを守ったからといって、必ずしも幸福になるとは限りません。 純粋倫理は自分や人を縛るものではなく、時代や場所、周囲の環境を問わず、いつでもどこでも誰でも実行できるもの。

しかも、それを守って生活していくと必ず幸福となる。徳と福が一致する。ここに大きな特徴があります。 純粋倫理は、丸山敏雄(倫理研究所の創立者。1892~1951)により発見され、提唱されました。丸山敏雄の遺した「万人幸福の栞」には、そのエッセンスが17の項目に分けて凝縮されています。

子供と親の目に見えないつながり、働くことの意味、肉体と精神の関係、捨てる極意、苦しみを幸福に転じる心の持ち方――どれも日常生活にピタリと結びついた暮らしの指針であり、宗教や学説をもこえた自然の法則です。

# by 8jyou | 2012-01-22 09:06 | 倫理法人会 | Trackback | Comments(0)

ホツマサミット

12月10日にホツマ観光研究会に出席したことは以前書いた。

1月11日に正式にホツマ観光研究会に入会した。

会員は、一般会員(年会費2000円)と研究会員(年会費5000円)に分かれており、毎月1回の勉強会に年間を通じて受講する意志のある者を研究会員とするとしている。

迷わず研究会員で申し込んだ。


正月に箱根駅伝で東洋大学が優勝したこともあって、学食ではカレーライスが400円のところ、350円で食べられた。

12月は特別講師の池田満先生だったが、通常は“いときょう”こと一糸恭良(いとやすよし)さんが講師で勉強会を開いているようだ。

いときょうさんは、我々と同じ中小企業の経営者である。

初めて話を聞いたが、よく勉強されている方だなと感じ入った。

とても分かりやすい授業だった。

約90分の授業の後は懇親会があるのだが、後ろ髪を引かれる思いで家路についた。


さて、ホツマ観光研究会主催で3月24日に伊勢市二見浦でホツマサミットが開催されるそうだ。25日には伊勢神宮の正式参拝もセットされているとのこと。


開催要項を見ると、出席者の面々が凄い。知る人ぞ知る方々ばかりだ。



そのことを常陸志塾で話したら、私のほかに3人が一緒に行くことになった。

実に楽しみだ。

二見浦はアマテルカミが禊ぎをしたところだが、今回の行事のオプションとして禊ぎもできるらしい。

# by 8jyou | 2012-01-19 20:18 | ホツマツタヱ | Trackback | Comments(0)

致知社長メルマガより

毎月一回、もうすぐ100才を迎える先生(女性)に書道を習っている。

その方も素晴らしいが、今日のメルマガも素晴らしい。


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

┃□□□ 致知出版社社長・藤尾秀昭の「小さな人生論」
┃□□□  
┃□□□      2012/1/15 致知出版社( 毎月1日・15日配信)

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┌──┬───────────────────────────────
│112 │使命に生きる人の迫力―日野原重明先生のこと
└──┴───────────────────────────────

『致知』の3月号の特集テーマは
「常に前進」です。

年末に書斎の整理をしていましたら、昔のノートに
こんな言葉が記してありました。

▼あなたの人格を磨き、人間性を豊かにする方法-それは尊敬する人を
 作ることである。

▼節目で気づくべきは、「いつでもこれからだ」という決意の時である。
 間違っても怒りや、憎しみや悲しみのタネをまいてはいけない。


どなたの言葉かは記していませんが、この2つの言葉は、
人が常に前進するために欠かせない言葉ではないかと思います。

尊敬する人がいなくなった時に、人の成長は止まりますし、
また、誰の人生にもいろいろな節目があるものですが、
その時に怒りや憎しみや悲しみにとらわれていたら、
前に進んでいくことはできません。
節目はそういうマイナスの感情に溺れている時ではなく、
さあ出発だと決意する時だというのです。

その通りだと思います。

この2つの言葉の意味するところをかみしめて、
今年も前進していきたいと思います。


『致知』の2月号には、聖路加国際病院の日野原先生がご登場され、
「我が命、燃焼す」のタイトルで、旧知の都倉亮さんと対談されていますが、
日野原先生は100歳のいまも前進されています。


都倉さんと日野原先生は、都倉さんのおばあさまが先生のお知り合いで、
その縁で先生は都倉さんの結婚式の媒酌も務められています。

その都倉さんが平成20年に中咽頭ガンになり、
それが左鎖骨上のリンパ節に転移し、現在も都倉さんは入院中ですが、
その合間をぬって、対談場所の聖路加国際病院に、
奥さまと一緒に駆けつけてくれました。
それだけに大変、含蓄の深い対談となりました。

この日野原先生との対談が厳しい状況にある都倉さんを励まし勇気づけ、
未来に希望の光を灯すものになることを祈らずにはおれません。


私自身もこの程、100歳の日野原先生のお姿と言葉に、
衝撃に近い感動を覚えました。


それは昨年末、NHKで放映された、先生のドキュメント番組のことです。
先生はその日インフルエンザにかかり、39度をこす身でありながら、
どこかの学校の講演会に熱を押して登壇し、役目を果たし、
顔を真っ赤にしながら帰宅されたのです。

100歳の先生が39度の高熱を出している、
悪いが講演会は延期して欲しいといっても、誰も批難する人はいないでしょう。
しかし、先生は「約束だから」と高熱を押して、出かけられた。
この事実に、私は改めて、先生の使命感の強さを思い、
形容のできないほどの感動と畏敬の念を覚えたのです。
使命感は単なる言葉ではなく、先生の人生のバックボーンそのものになっているのです。

その日野原先生が対談の中で、こう言われています。

「統計によると、私の人生はあと1年足らずしかないそうなんです。
 だから自分には死の足音が確かに聞こえてくるように思う。
 にもかかわらず、私は常に“上を向いて歩こう”という気持ちを持っている。
 
 とにかく、私の命は神様から与えられたものです。
 その与えられたものに対して自分自身がどこまでも充実して、
 感謝して生きていきたいと願い、全力疾走を続けています」



人生はいつもこれからが本番、ともいわれています。都倉さんに対しても
そう語られています。
先生は現代の覚者です。
こういう人の姿を見、気を共有し、言葉にふれていくだけでも
ご利益があるというものです。


1月28日の新春大会、皆さんとお目にかかれるのを楽しみにしています。

# by 8jyou | 2012-01-16 08:28 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

長女の成人式

長女郁恵が成人式を迎えた。1月8日が常陸太田市の成人式だった。

武田鉄矢の母親イクさんにあやかって、また郁々と育つように20年前に郁恵と私が命名した。榊原郁恵も明るくて感じが良かったので、そんな子に育ってもらいたかった。
名前の通りに育ってくれた気がする。

家族で、私の父と長男は不在。

末っ子にはいつも明るい雰囲気がある。陽祐、太陽の明るさだ。


初めて子供を授かったとき、五体満足で生まれてきただけで有り難かった。

言葉を覚え一人歩きして少しずつ物事を覚えてくると、親は次から次へと要求を高くする。

自分が育った時を忘れてしまうからだ。

# by 8jyou | 2012-01-12 18:54 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

明けましておめでとうございます。

平成24年壬辰、新年おめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

元日に初日の出が拝めなかったので、1月3日に今年初めての日の出を拝しました。

命の元、日本人は大昔から太陽を拝んできました。

長男隆太郎今年こそはと猛勉強中、次男和寛もうすぐ中学生だ。


1月2日には初めて一般参賀に行ってきました。

妻、長女、次男、三男と

天皇陛下のお言葉

靖国神社にも参拝してきました。


小林正観さんの著書『心に響いた珠玉のことば』の最終章から

『天皇のことば
 私の体を通してからにしてください』


毎年、元旦の早朝・・・・・

『四方拝(しほうはい)』

・・・・・と呼ばれる皇室行事が執り行われます。

この際、天皇は
東西南北、四方の空に向かってこう礼拝するのだそうです。

『もし今年、
 日本に災いが降ってくるのであれば、
 まず私の体を通してからにしてください』

私は『四方拝』の言葉自体は知っていましたが、
その実態を本日はじめて知りました。


誰かが言っていました。

外国人に、日本の誇れる文化を一つ申すとすればそれは何か。

それは「天皇」であると。

日本人の多くは、なるほどと感じてくれるだろう。

しかし、その根拠は古事記、日本書紀ではわからない。

日本固有の文字で書かれたホツマツタヱ、ミカサフミといったヲシテ文献にこそ、その理念が記されているのである。

# by 8jyou | 2012-01-06 09:01 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

縄文文字ヲシテを 復活!

縄文文字ヲシテを 復活!』は池田満氏のブログのタイトル。

私は池田満先生と出会って、初めてホツマツタヱの本質を教えていただいたと感じている。

古語辞典にも載っていない言葉を現代語に意訳するのは並大抵のことではない。

当然、ホツマツタヱの漢字直訳では本当の意味の半分も伝わらないこともあり得る。

そのことを理解できているホツマツタヱ研究者は少ない。

それはさておき、

12月27日の投稿のタイトルは(女性「宮家」のことなど。『ホツマツタエ』などヲシテ文献から見ての事々。)


本質を突いてると思うので転載させていただきます。


宮家の事など、皇室のことがいろいろと言われてます。

もっと、

本質からの見つめ直しをしてからの事で、 と、 思います。

            ・

『日本書紀』や『古事記』など、漢字文献で見ますと、

神武天皇の征服王朝説にと、なってしまっています。

今現在の状況、震災や原発事故の後の対応など、

征服王朝説では、我が国の国柄は説明不可能ですね。

これは、そもそもの征服王朝説は大間違いだったことが、ヲシテ文献で明瞭になりました。先ずもって、これを直さねばなりません。

征服王朝説は漢字文献からの誤訳などでの由来の大誤りで、本来は、恵み柔しの「トのヲシテ」理念を根底にしての立国だったと。

       ・        ・

また、皇位の継承につきまして、

過去の国難の事を、ヲシテ文献でひも解いてみましょう。

6代目オモタルさん、カシコネさんの御世の末期に、

クニ(国家)が乱れました。作物の減収と、お世継ぎに恵まれなかった相互の悪影響からでした。

7代目には、北陸地方の名君で名高いアワナギさんの、ご長男のタカヒトさん(後のイサナギ)。 と、東北・関東で名君のタマキネさん(トヨケカミ)の娘さんのイサコヒメ(後のイサナミ)とに、皇位を継いで戴くことになりました。イサナギ、イサナミさんは全国各地に教え導きの巡行をなさいまして、国家を立派に再建なさいました。

拠って、イサナギさん、イサナミさんは、特にフタカミと尊ばれて呼ばれます。

                ・

わが国の伝統とは、縄文時代の前期の頃に、「トのヲシテ」を建国の理念として国家の樹立を成し遂げた事実だと思います。その後の経済状況の変化など社会の構造変化を、「トのヲシテ」の理念のもとに、これを実に意識に登ることなく知らずに国家運営をしてきていたのでした。

         ・             ・

武烈天皇のあと、

混乱した世の中をどうするか?

26代継体天皇は、遠い血筋をたどって,

ご即位の事を、お願い申し上げたのでした。

それで、普通の時期ではないため(大混乱のため)、

何年も都にはお入りになるのを躊躇(ためら)われられたのでした。

ですが、継体天皇はちゃんと時節を踏まえ、ミチをお立てになられましたのでした。

                ・

わが国の伝統とは、本来このようにあるのだと思います。

思えば、

2代目アマカミのクニサツチも、

ヱのミコトの後を受けて、弟のトのミコトが皇位を受け継ぎました。

皇位とは、 お仕事なんだと思います。

この、本質を見極め知ってからの、お話だと思います。

          ・          ・

また、追加して言うなれば、アマテルカミもご心配をしておいでになられました。

サルタヒコに、

カンタカラを授けて仰っておられたことなど、

諄々と思い返すばかりの事柄で御座います。

単純な決め事のマニュアルの様なことでは、返って変てこなことになる杞憂を恐れるばかりです。

マニュアルは最低限の決め事でして、

そんなものは、原発事故に遭遇して、まったく役にも立たなかったのでした。

安定ヨウ素剤の配布のような簡単な事でさへも、90%出来得ないのでした。

これが、現実です。

ですから、

そんな事であろうかと、

お見通しに、なられておられた、アマテルカミは、

サルタヒコにも、お託しになられたのですね。

            ・

民主主義の本来の原点に立って、

どうあるべきか?

その、理由をみんなに解ってもらってから、

そのあとに、

国民の審判を得るのが、 もっとも、ちゃんとした進め方だと思います。

「トのヲシテ」は本来の、二人称から発生した原則に基づくものです。

本当の意味での「民主主義」の根底原理なのだと考えます。

# by 8jyou | 2011-12-29 08:11 | ホツマツタヱ | Trackback | Comments(0)

6年目のクリスマスパーティ

常陸太田倫理法人会では12月22日にクリスマスパーティをグランドスラムCCで開催した。

総勢48名の参加者だった。

植田専任幹事の企画・運営は多彩な演出で大いに盛り上がった。

受付は大森智子幹事と木村郁郎副事務長

司会進行はかわいらしい石原副専任幹事

倫理法人会会員の佐藤ご夫妻による生演奏、ハナミズキとマイウェイを熱演、多芸多才だ。

じゃんけんゲーム、因みにサンタは私です。

突然、20才以上の女性が前へ並びました。

サンタの私が目隠しをされて、一人一人と握手、15人の中から私の奥さんを当てろと。

日頃の実践が試されました。悩みに悩んだ末に指名したのはわが女房でした。


もしはずれていたらと思うと、ぞっとします。

当たって良かったーーーーー。


皆さん、奥さんの手を最後に握ったのはいつですか?



最後はキャンドルサービスと詩の朗読でエンディングでした。


詩の内容は、見えないモノにこそ大切なことがあるといったことでした。

本当にそうですね。

# by 8jyou | 2011-12-27 10:48 | 倫理法人会 | Trackback | Comments(0)

ありがとう100万回達成

12月21日に今年1月1日から数え始めた『ありがとう』が100万回になりました。

今年100万回のありがとうを言うと、来年100万回のありがとうを言わせる現象が起こると小林正観さんは仰っていた。

私は昨年100万回を達成できた。

私の実験結果として、ありがたいと思える現象がたくさん、たくさん確かに起こった。

それこそ100万回ぐらいありがたいと思えることがあったと思う。


言葉の力は偉大だ。現象を引き寄せる力があるのだ。

これは斎藤一人さんも言っている。『成功脳』を読むとその仕組みを解説している。

生前、小林正観さんは3000万回以上の『ありがとう』を言い続けたそうだ。

1年に100万回とすると30年以上言い続けたことになる。


私はカウンターで数えはじめて375万回になった。

まずは1000万回を目指して来年も続けようと思う。


こんな有り難いことをやめるなんて出来ない。






# by 8jyou | 2011-12-24 10:13 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

一日一生

12月18日のメルマガより

────────────────────────────────────
■「致知随想」ベストセレクション
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      「一日一生」
       
                   
     橋本喬(観光企画設計者社長)

        
               『致知』2003年8月号
                   「致知随想」より

────────────────────────────────────

十年前の十月、いつも通り出社した私を
待ち受けていたのは東京地検特捜部だった。

故・金丸信元自民党副総裁の脱税事件を契機に
明るみになったゼネコン汚職。

土建国家・日本の暗部にメスが入り、
収賄罪で県知事や自治体の首長、
ゼネコンの役員クラスが多数逮捕された。

私もその一人である。

大成建設の営業本部長を経て副社長になった矢先、
宮城県発注工事にからみ、県知事および
仙台市長へのヤミ献金容疑が発覚。
私と仙台支店長と副店長が贈収賄で起訴された。

営業本部長はゼネコンの営業活動の総元締めであり、
必要な資金はすべて私の管理下に置かれていた。

支店長と副支店長が
「知事と市長に少し何かしなくては」と言った時、
私は「そうだね」と答えた。

それが業界の通例だったし、そうしなければ
他社から取り残される。

また、われわれだって贈収賄が
刑事罰に相当することは百も承知。

あくまでも「選挙資金」として渡したのであって、
相手が私的に使っていたなど知る由もない。

「選挙資金と言っても、それに対する見返りを
 期待していたでしょう? 何も期待せずに金を出しますか」

 取り調べの席で検察は言った。

「そりゃ出しませんな」

と答えると、私は即刻逮捕された。
自分が金を渡してもいなければ、いつ渡したかも知らない。

相手が選挙に使わず、勝手に私腹を肥やしていただけだ……。

言いたいことは山ほどあった。

だが、腹を括った。
すべてを受け入れることにした。


拘置所での生活は、判で押したように
規則正しい生活だった。

七時起床、九時就寝。
十五時から体操で、三度の食事の時間も決められていた。

よく、所内の飯は「くさい飯」といわれるが、
慣れればそれほど不味くもなくなった。
週に三度は風呂に入れたし、半月に一度は床屋にも行った。

とりたてて生活に不自由はなかったが、
「ここは別世界だ」と痛感することは多かった。   

初めこそ罪状認否の取り調べもあったが、
早々と罪を認めたら特にすることもない。
独房の中で、これまでのことを考えてみたこともあった。

早大の建築学科を卒業し、
大成に入社したのは昭和三十三年。
東京タワーが完成した年だった。

戦後日本の復興の象徴ともいえる高層建築物を数多手がけ、
四十九歳で取締役東京支店長、
営業本部長を経て副社長になった時は、
「大成初の昭和二桁の副社長」と言われた。

当然、耳に入ってくるのは「次期社長」の声――。


狭い部屋で思いを巡らせても、すぐに行き詰まってしまう。

それに考えたところでどうしようもないのだ。

有り余る時間で、私はやたらと本を読んだ。
拘置所にいた四か月間で百冊以上読んだだろうか。
家族からの差し入れも、本が一番嬉しかった。

特に好んで読んだのは、徳川家康や織田信長などが
登場する長編歴史小説。

別に自分の姿を重ね合わせたとか、
彼らの生き様に鼓舞されたとかいうのではない。
ただただそのストーリーに集中し、没頭していた。
何も考えなくて良かった。

拘置所で年を越し、裁判も一段落した一月下旬、
いよいよ出所の時がきた。
ああ、この生活も終わったんだ。

事態を冷静に受け止めている半面、
誰かに会ってむしょうに話をしたかった。

この四か月、限られた面会時間に家族や弁護士としか
話ができなかったことへの反動だろう。

門をくぐると大勢の人たちの姿が見えた。
私は驚いた。そこにいたのは大成建設の仲間たちだった。


「ご苦労さん」

「お疲れ様でした」


次々と皆に労いの言葉をかけられ、
私は急に現実の世界へ戻ったような気がした。
会社から用意された車に乗り自宅へ行くと、
そこにもたくさんの同僚たちが私の帰りを
いまや遅しと待ち受けていた。

その輪の中に入った時、
「分ってくれる人はたくさんいる」と心から思った。

人生は「一日一生」である。

前から好きな言葉だったが、事件を契機に
その思いはますます深くなった。

人生は一日の積み重ねであり、一日を全力で生きて、
初めて人生をまっとうすることができる。

時には躓き、誤解もされる。
私も逮捕され、社会に大きな影響を与えた。
失ったものも多く、私の肩書きと付き合っていた人たちは、
潮が引いていくように離れていった。

しかし、「人間・橋本喬」と付き合ってくれていた人たちは、
私を支え、励まし続けてくれた。

現在籍を置く観光企画設計社の創業者であり、
会長である柴田陽三氏とは二十数年以上の付き合いになる。
ホテルオークラをはじめ、
全国のホテル設計を請け負っている柴田氏の事務所は、
大成時代の取り引き先だった。

「絶対にいい仕事をして、お客様のお役に立ちたい」
という一心で仕事に取り組んできた私の姿勢が、
柴田さんには伝わっていたのだ。

事件が一段落した時、
「ちょっとうちの会社を手伝ってよ」と言って、
私を副社長として迎え入れてくれた。

いずれ訪れるであろう死の床で、
これまでの人生を振り返った時、
私は幸せだったと思いたい。

結局最後に自分を満足させるのは、
「人様のお役に立った、人様に必要とされた」
という思いだけである。

出世をして金持ちになっても、
死に際に誰も来てくれないような人生は悲しい。

毎日毎日人に優しく、親切に、お役に立つ。
私はそういう人生を送りたい。

# by 8jyou | 2011-12-19 14:22 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

納棺夫日記 青木新門

12月10日の県北志塾第3回は納棺夫日記を書いた作家青木新門さんだった。


映画『おくりびと』の原作を書いた人。

納棺夫日記を25才の本木雅弘さんが読んで、いつかは映画にしたいという思いが10数年の時を経てつくられたが原作者の意図とは食い違ったためテロップには原作者名は出ていない。

『おくりびと』は第81回アカデミー賞外国映画賞(2009年2月22日)受書作品だ。

私も映画館で久々に見た映画だった。


青木新門さんは昭和12年生まれ、両親と昭和17年に満州に渡る。昭和20年の敗戦時、新門さん8才、妹5才、弟1才、父は行方不明、母は発疹チフスで瀕死の状態。

弟はすぐに亡くなり、母も行方しれず、妹と2人で日本人収容所にいたがある日、妹が亡くなる。8才の少年は妹の亡骸を抱いて死体を焼いている河原へ運んだ。新門さんは捨てたと表現していた。


この写真は、長崎で昭和20年の9月に撮られたもの。弟の亡骸を背負って、河原の焼き場に立っていた少年を米軍兵が撮っていたのだった。戦後、開かれた写真展で新門さんがこの写真の前で号泣されたそうだ。自分も同じことをした記憶が蘇ったからだ。


瀕死の母と巡り会い、やっとの事で帰国。富山県の父の実家に戻ったが、嫁舅の仲が悪く母は出て行った。祖父、祖母に育てられる。一門の本家だったが、祖父祖母は仕事をしたことがないらしく蔵にあったお宝を売って育ててくれたとのこと。

新門さんが大学受験の時には、最後のお宝を売って受験代を捻出したそうだ。早稲田大学に合格した新門さんを待っていたのは60年安保闘争。

安保改定にがっかりした新門さんは富山に帰った。その頃母親は町中で小料理屋を開いていた。大学に戻る木もなくなり母を手伝って過ごした。自分も独立してもやってゆけると思い独立。

詩を書いたり文学を志していたりで商売は素人だったので倒産。そのころ奥さんとの間に子どもが出来る。夫婦喧嘩が絶えず、ドライミルクが変えないと奥さんが投げつけた新聞紙の求人広告が目に入った。

冠婚葬祭業に入るきっかけがふと目にした新聞の求人広告だった。ここから納棺夫になってゆくが、私の文章より素晴らしいページを見つけたので、そちらを参照されたい。

ともあれ、久々に涙の流れた講演だった。

この人の今生での役割はこうだったのだなと思える講演でした。

帰宅後、早速アマゾンで『納棺夫日記』を購入、今日の昼に届く。


奥深い内容だ。

この一冊は是非読まれると良いかもしれない。

# by 8jyou | 2011-12-12 20:28 | 講演会 | Trackback | Comments(0)

ホツマ観光研究会

12月7日午後7時からのホツマツタヱ勉強会に参加した。

場所は、東洋大学白山第二キャンパスの教室だった。

根本君と午後3時30分に茨城をクルマで出発。

首都高の渋滞もあって到着は6時30分、学食でカツカレーを食べて教室に入ったのが6時45分。

30年ぶりの学食は綺麗で食事もおいしかった。

さて本日の講師は、池田満氏。


90分の授業はあっという間に過ぎた感じだった。

聴講者は40名ほどだったろうか。

私は一番前で聴講したが、はじめの頃は少ないと感じたが、終わりに全体を見回してみると倍ぐらいに感じた。



日本はどうあるべきか。

明治の日本人、新渡戸稲造は日本人の道徳観を『武士道』で表現した。

しかし、もっと根源を遡ればトノヲシテに行き着く。

それはホツマツタヱが昭和41年に発見されて、松本善之助氏、池田満氏らが研究を重ねた結果として、導き出されたのだった。

ヲシテ文字そのものも素晴らしい哲学で表された文字なのだった。


詳細は池田先生のホームページをご覧いただくとして、学問の府で研究者が少しずつではあるが出てきていることは暁光である。

それにしても良い時代になった。

東京の大学で行われる市民講座に茨城から気楽にゆける時代になったのだから。

# by 8jyou | 2011-12-10 07:59 | ホツマツタヱ | Trackback | Comments(0)

泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか

今朝の致知メルマガより

不平不満・愚痴・悪口・文句・泣き言を言わないと決めているのに忘れることもある。

そんな自分に三浦綾子氏の言葉がずしんと響いた。

──────────────────────────────────


       「人間の悲しい性」
       
       
          三浦綾子(作家)


             『人間学入門』より 

http://www.chichi.co.jp/book/ningengaku_guide.html
─────────────────────────────────

 これは時折、講演で話すんですが、

  「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。

 私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。

 大事にしていたものや、高価なものを取られても、
 生活を根底から覆(くつがえ)されるような被害でない限り、
 いつかは忘れます。
 少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために
 自殺した話はあまり聞かない。

 だけど、人に悪口を言われて死んだ老人の話や
 少年少女の話は、時折、聞きます。

 「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても
  三杯も食べるのよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨(ふんがい)し、
 その後一切、食べ物を拒否して死んだ、という話があります。


 それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に
 強烈なショックを受けた時に生まれる確率が高いと聞いたことがありますが、
 ある妻は小姑(こじゅうと)に夫の独身時代の素行を聞き、
 さらに現在愛人のいることを知らされた。

 それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことを言ったのです。
 この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、
 生まれたのは精神薄弱児だったそうです。


 恐ろしい話です。私たちの何気なく言う悪口は人を死に追いやり、
 生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。
 泥棒のような単純な罪とは違うんです。
 
 それなのに、私たちはいとも楽しげに人の悪口を言い、
 また、聞いています。そしてああきょうは楽しかった、と帰っていく。
 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性(さが)です。
 
 もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、
 怒ったり、くやしがったり、泣いたりする。
 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口を
 きかなくなるのではないでしょうか。 


 自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が立つはずです。
 そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。


 私たちは自分を罪人だとは思っていない。
 罪深いなどと考えたりしない。

 「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。

 私たちはたいていそう思っています。
 それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。
 「人のすることは大変悪い」「自分のすることはそう悪くない」。
 自分の過失を咎(とが)める尺度と、
 自分以外の人の過失を咎める尺度とはまったく違うのです。
  
 
 一つの例を言いますとね、ある人の隣家の妻が生命保険の
 セールスマンと浮気をした。彼女は、「いやらしい。さかりのついた猫みたい」
 と眉をひそめ、その隣家の夫に同情した。

  何年か後に彼女もまた他の男と通じてしまった。だが彼女は言った。

 「私、生まれて初めて、素晴らしい恋愛をしたの。恋愛って美しいものねぇ」

 私たちはこの人を笑うことはできません。
 私たちは自分の罪が分からないということでは、この人とまったく同じだと思います。

……………………………………………………………………
『人間学入門』より、三浦綾子氏の名言
……………………………………………………………………

  九つまで満ち足りていて、
  
  十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、
  
  人間はまずその不満を真っ先に口から出し、
  
  文句をいいつづけるものなのだ。
  
  自分を顧みてつくづくそう思う。

  なぜわたしたちは不満を後まわしにし、
 
  感謝すべきことを先に言わないのだろう。

                             三浦綾子

# by 8jyou | 2011-12-02 11:16 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

坂の上の雲

12月4日からNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』第3部が始まる。

司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』を読んだのは5年前だったろうか。

国分秀男先生の講演で先生が最も好きな本はと問われて即答されたのが『坂の上の雲』だった。

それで私も読む気になり早速本屋に行ってみると文庫本で8巻もあるのでびっくりしたが、買って読み始めると夢中になって読んだことを覚えている。

この本が端緒となって近現代の歴史を勉強してみようという気になった。


そして判ったことは、学校で習った近現代の歴史とは全く異なる世界があることを知った。

(もっとも歴史の授業は古代から始まって近現代の頃になると3学期も終わりに近づきそれほど記憶に残っていない)


1571年10月7日レパントの海戦でヨーロッパ連合軍がオスマン帝国軍を破って以来、白人種が世界を席巻し、333年後に日露戦争で日本がロシアに勝利するまで有色人種は一度も勝っていない。

1905年(明治38年)の日露戦争における日本の勝利は、世界史の中でも極めてエポックメイキングな出来事だったのである。

当時はまさに帝国主義全盛の時代である。

アメリカがハワイを併合したのは1898年(明治31年)。

フィリピンは1570年にスペインがマニラを征服し1898年からはアメリカが1946年まで統治している。

帝国主義が終焉を迎えるのは、1945年大東亜戦争が終わった後のことである。




文明の発展は素晴らしいことである。

ネット社会になっていなかったら、簡単に情報を得ることも難しかったに違いない。

人類の歴史は間違いなく良い方向に向いていると確信する。

100年前、200年前から比べたら間違いなく良い世の中になっているし、10年前、20年前と短期的に見ても良い方向に向かっていると思う。


スペシャルドラマ『坂の上の雲』楽しみだ。

# by 8jyou | 2011-12-02 09:28 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

『ありがとう』91万回

今年の1月1日から『ありがとう』を言い続けて、昨日(11月30日)で91万回を数えました。

今年も100万回を達成できそうです。

言葉が人生をつくる。

そう考えると、マイナス言葉を話すよりもプラス言葉で埋め尽くしたい。

プラス言葉の中でも最強の言葉は、『ありがとう』だと小林正観さんは仰っていた。


正観さんは生前三千万回は、『ありがとう』を言ったと仰っていた。

昨年暮れにサイババから感謝状が届いたそうだ。

全く面識もない正観さんに、釈迦の教えを明確に伝えてくれているとの感謝の意で送ったそうだ。

それがサイババの最後の仕事になったらしい。



私はまだほんの十分の一。

それでも私にも奇跡は起きている。

三千万回言い続けたときにどんな奇跡と出会えるか楽しみだ。




# by 8jyou | 2011-12-01 18:41 | 小林正観の世界 | Trackback | Comments(0)

ふくれみかん

池田満先生が日本固有種のミカンが筑波山の麓にあると仰っていたのを思い出して行ってきました。

旧真壁町酒寄地区に日本列島では北限のみかん園が十数軒ありました。

調整池つくし湖からつづら折りの山道を登ってゆくと眺めが一番良いところでクルマを止めました。

酒寄進みかん園でした。

いつも見慣れている温習みかんの半分ぐらいの大きさのふくれ(福来)みかんがそれです。

常陸風土記にも記載されており、池田先生は「カクの実」とも仰っています。

この旧真壁町はイサナギ、イサナミが新婚時代を過ごしたイサ宮があったところだと私は推測しています。

というのも、この酒寄地区から旧真壁町伊佐々まではクルマで10分ぐらいの所であることが解ったのです。

みかん園の売り子のおばさん達は江戸時代からみかんを栽培していると言っていましたが、もっともっと古くからあったことは知る由も無しでした。

# by 8jyou | 2011-11-28 19:41 | ホツマツタヱ | Trackback | Comments(0)

大才は、袖すり合うた縁をも活かす

久々に致知メルマガよりのご紹介。


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      「習い方がうまい人とは、習う素直さがある人」
       
       
            荒川博(日本ティーボール協会副会長)
        
            『致知』2009年8月号
             対談「世界の王」はこうしてつくられた」より
 http://www.chichi.co.jp/monthly/200908_pickup.html#pick3


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【王氏:思えば僕が中学二年の時、草野球の試合に出ていたのを
    目に留めていただいたのが、荒川さんとの初めての出会いでしたね】

そう、忘れもしないね。
昭和二十九年十一月二十三日の、午後二時頃だ。

当時二十四歳だった私は毎日オリオンズ
(現・千葉ロッテマリーンズ)の選手だったけれど、
その頃のプロ野球には秋季練習なんてなかったから、
暇を持て余して近所の隅田公園へ出掛けていった。

そしたらそこに凄いピッチャーがいたんだ。


ところがその子は左で投げているにもかかわらず、
打つ時になると、なぜか右で打つんだよ。

で、初めは黙って見てたんだよね。
一打席目三塁ゴロ、二打席目ショートフライ。

それで三回目の打席に立った時にね。


「ちょっと待って、坊や。君は何で右で打ってるの?
本当は左利きなんだろう?
次の打席は左で打ってごらん」


と声を掛けたら、


「はい」


って素直に言ったんだよ。

これがすべてのきっかけだな。

普通、それまで左で打ったこともない子が、
試合中にいきなりそんなことを言われたら、


「できない」


って言うのが当たり前だよ。

ところが次の打席で左ボックスに入ったその坊やは、
いきなり二塁打をかっ飛ばした。


右中間真っ二つ、ビックリするくらいのいい当たり。
私はその時に、あ、この子を、
母校の早稲田実業に入れようと思った。
そうすれば絶対に甲子園で全国制覇ができるって。

それで試合が終わるまで待って、早実に入るよう勧めたんだ。


私はともかくも早実へすっ飛んでいって
こういう選手を見つけたから、二年後には
何が何でも入れてくれと頼み込んだ。

ところが翌週に少年の家に行くと、
お父さんからけんもほろろに断られてしまった。


「うちの子には野球なんかやらせない。
 両国高校へやって東大に行かせるんだ」
 

って。いや、これは頭がいいんだなと思ったね。


でも私はそこで諦めなかった。
人生には「もし」ということがある。
もし落っこちた時はどうすんだ、と。

そこで近所の知り合いのオヤジに


「もしあそこの家の子が受験に落ちた時には、
 俺のところへ知らせてくれ」
 
 
と頼んでおいた。そしたら結果的に志望校を落ちて、
早実へ入ることになったんだな。


しかし、それにしてもあの時、
左で打てと言われて


「はい」


って答えた素直さね。

これが王の一番のいいところであって、
それが今日の成功をもたらしたんだよ。
この「はい」が。


だから私はいつも



「習い方がうまい人とは、習う素直さがある人だ」



と言うんだよ。これがもう第一条件なんだよね。
王はその後も、私に口答えしたことは一回もない。



これを読んでいる内に何故か涙が溢れた。

そして、柳生家の家訓を思い出した。


小才は、縁に出合って縁に気づかず

中才は、縁に気づいて縁を活かさず

大才は、袖すり合うた縁をも活かす


荒川さんも王さんも縁を活かすことで大才になっていったんだ。


感動

# by 8jyou | 2011-11-22 08:54 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

今年2度目のお伊勢参り

法人会青年の集い三重大会参加を兼ねて11月18,19,20日と2泊3日のバス旅行に行ってきました。


11月18日、三重大会の基調講演は経済アナリスト勝間和代氏。早朝4時に茨城を出発したが伊勢到着は午後3時30分をまわっていた。30分遅れで会場へ。

歯切れの良い講演はなるほどと思ったがいつの間にか夢の中へ入ってしまった。

中でも印象に残ったのは正論を言う人間ほど抹殺されてしまうと言うこと。

人間学を修めている人が上に立つ仕組みがあれば良いのだが、、、永遠の課題だ。

懇親会を途中で退席して鳥羽市のホテルに宿泊。

11月19日、朝から雨、次第に強くなる。旅程は、二見浦、神宮徴古館、外宮、内宮、おかげ横町。

参加者は15人、根本君をのぞいては初めての方ばかり。そこで私が、ホツマツタヱで得た知識を皆さんにご披露した。

神社と神宮の違いは?

二見浦はどういうところか?

そして、内宮より先に外宮にお参りする意味は?

外宮に祀られているトヨケ(豊受)様はどういうお方か?

内宮に祀られているアマテルカミ(天照大神)様はどういうお方か?

サルタヒコ(猿田彦)神社が内宮のすぐそばにあるのは何故か?


古事記、日本書紀では解明できなくなっていることが、ホツマツタヱを解読すると明らかになるのだ。

昭和41年に写本が故松本善之助氏によって発見され、、池田満氏が松本氏の遺志を継いで研究されており、三書比較(古事記、日本書紀、ホツマツタヱ)の結果、ホツマツタヱが記紀の原書であると結論付けされています。

これはあくまでも私の研究した結果として申し上げていると断って話させていただきました。

いつの日か、ホツマツタヱが日本人の常識と言われる日が必ず来ると信じていますが、まだまだ認知されるには至っておりません。


さて、雨は土砂降りの中、外宮、内宮の正式参拝をさせていただきました。

小林正観さんと毎年6月30日に参拝した折には一度も雨が降りませんでした。

歴代天皇陛下が参拝されるときも決して雨が降らないという話もあります。

天皇晴というそうです。



私は、今回は豪雨の伊勢を楽しませていただきました。

雨でも気温が20度とこの季節としては意外に温かくて良かった。


神社とはただただ感謝を述べにゆくところ。

ありがとうございます。




# by 8jyou | 2011-11-21 12:30 | ホツマツタヱ | Trackback | Comments(0)

陸前高田市

陸前高田市に仕事で行ってきました。

11月10日(木)午前5時に会社を出発、常磐道、磐越道、東北道を乗り継いで一関から一般道を経て午前10時30分に現地到着。

山道を通って開けたところに出た途端に、景色が一変した。


想像を絶する現実が目の前にあった。テレビの中の映像では解らない凄さ。


それでも生き残った人間は生きてゆかねばならないのだ。

仮設店舗も少しずつ開いてきている。

正岡子規の言葉。

悟りとは 平気で死ぬことではなく
悟りとは 平気で生きることである

# by 8jyou | 2011-11-15 11:44 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

慈眼寺

11月5.6日と業界の研修旅行で宮城、山形方面へ行ってきた。

松島湾は津波の影響がすくなかったの観光船に乗って松島湾をクルーズすることが出来た。多くの島々が天然の防波堤になってくれたのだ。中には、島の半分まで津波が来たところもあったようだ。

牡蠣や海苔の養殖場はさすがにやられてしまっていた。

塩釜港も復興途中といったところだった。

宿泊は秋保温泉に戻るかたちだが、その秋保温泉の奥に慈眼寺というお寺がある。


慈眼寺のホームページには下記のように紹介文が載っている。

慈眼寺は、塩沼亮潤大阿闍梨が修験道発祥の地奈良県大峯山において一日四十八キロを歩く『大峯千日回峰行』と九日間飲まず・食べず・寝ず・横にならずの『四無行』を満行し、 開山されたお寺であります。

塩沼亮潤大阿闍梨の講演は私も一度、致知の講演会で拝聴したことがある。

大峯千日回峰行は比叡山の千日回峰業よりも過酷で、満行できたのは1000年の歴史で2人目だそうだ。

知る人ぞ知る寺だが、観光バスが我々の後に1台やってきた。

知る人ぞ知るといえば、主婦の店 佐市(さいち)のおはぎだ。

普通のスーパーだが、おはぎだけで平日は五千個、土日は二万個を売るそうだ。

2日目の日曜日、朝九時の開店前に我々も並んで待った。開店時には行列は百人位になっていた。
開店と同時に店の中へ、行き先は皆、おはぎのコーナーへ。

賞味期限が当日だけなので、おみやげに買って帰るには無理なところがあるが、近所の人にもいくつか買って帰った。
私はバスの中でペロリと2つ平らげてしまった。

お米は少しで、粒あんがたっぷりなのだが、甘さを抑えてあるので小豆本来の味が引き立ち、いくつでも食べられそうな気がしてしまう。

一度ご賞味あれ。

2日目は蔵王へ行く予定だったが、既に道路が閉鎖されたため、急遽予定を変更して、斎藤茂吉記念館をコースに組んでもらった。

最近亡くなった作家の北杜夫の父であり歌人として有名な方だ。

私も、昨年の12月よりしきなみ短歌会に入会し、毎月2首の投稿を続けている。

私の独断で予定を変更していただいたのだが、ほかに上手く時間調整出るところが無かったのも事実だった。

私にとっては歌人斎藤茂吉を知る良い機会となった。



帰ってきて、12月号のしきなみを開いてびっくりした。

初心者クラスの茨城・群馬エリアで私の詠草が一等に選ばれているではないか。

いつも歌を作るのに、なかなか言葉が見つからず苦心しているのだが、今回は前向きな気持ちで作れたなと思っていた歌だった。

恥ずかしながらご披露する。

当たり前に過ぎゆく日々が本当の幸の姿と気付くこの頃

マイナスの言葉を言わぬと決めし日より真に生きる意味を見出す

選者の評 一首目、私達は震災にあって多くのことに気付きました。当たり前と思っていたことが、有難い、幸せなことだったと---。二首目、「グチをこぼせば幸せこぼす」と倫理では教わります。前向きに生きる作者に共感しました。

心と言葉はつながっているのだなと改めて感じました。

# by 8jyou | 2011-11-11 09:30 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

モーニングセミナーに55人の参加

11月2日の常陸太田倫理法人会モーニングセミナーは、講師として水戸市倫理法人会会長宮田久雄氏をお迎えしてのモーニングセミナーだった。



宮田会長はプラス思考そのもので人生をより良く生きてこられた方。今回のモーニングセミナーも本気でしゃべるので出来るだけ沢山の方に聴いてもらいたいと仰っていた。出来れば50人は集めましょうよと。


それに応えたのが植田専任幹事、石原副専任幹事ほか役員全員だった。

役員全員が一致協力して今回55名に参加いただいた。


本当にありがとうございました。

常陸太田倫理法人会が始まって以来、最多出席者だったと思います。





# by 8jyou | 2011-11-04 18:39 | 倫理法人会 | Trackback | Comments(0)

ハウステンボスは一年でどうやって黒字になったのか?

ネットでおもしろい記事を見つけた。


ハウステンボス、開園以来初の営業黒字
1992年の開園以来初の営業黒字というびっくりなニュースがありました。


半年ほど前にそのハウステンボスを立て直した澤田さんの講演でその立て直し方法を聞く事ができました。

澤田さんですが、見た目どおり話方もすごくおちゃめなただのおっさんという印象でしたが、ハウステンボスの再建の話はやっぱりものすごいの一言でした。

ご存知の方も多いと思いますがハウステンボスというのは、

西のディズニーランドとして1992年に総額2千数百億円かけて造られ、毎年赤字を出し続け、2003年の9年目に会社更生法の適用を申請し破綻しています。その後2004年には野村プリンシパルファイナンスという経営のプロ集団が再建にとりかかりますが、黒字にすることはできず開業以来赤字続きの会社です。

経営のプロ集団野村も支援を引くことを決め、2009年にスポンサーとして澤田さんの名前が上がります。
町長やハウステンボスの関係者から再建のお願いに何回も来られたようです。しかし周りからは絶対にやらない方がいい。リスクが大きすぎると言われていたようです。

どうするべきなのか色々考えられました。
あれだけのお金をかけたテーマパークを潰すとますます日本が元気がなくなる。
日本を西から元気にするチャンスではないか。そして全員が反対すると逆にやりたくなる気持ちも後押しし、再建することを決意されたそうです。
そして結果はニュースにあるように開業以来14年間赤字続きのハウステンボスを一年で黒字化に達成します。

その誰も再建できなかったのにどうやって黒字化にしたのか?!
その話をされました。

何をされたかというと、初めに全社員を集めて三つのお願いをされたそうです。

一つ目は、事務所はテーマパークも含めて『キレイに掃除する』こと。
経験上でレストランや事務所が汚い所で成功している例は少ないそうです。
だからまず朝10分でいいから掃除をしよう。そうすると成功する可能性がたかくなるからとお願いされたそうです。

二つ目は、『あいさつをする』こと。
うまくいっている企業は元気がいい。逆に倒産前の会社など雰囲気が暗い。だから嘘でもいいから元気に挨拶だけはしよう!とお願いされたそうです。

三つ目は、『動きを二割早くする』こと。
二割売り上げを挙げて、二割経費を削減すれば利益がでます。ただ従業員のことも考えずとりあえず「経費を削れ」といわれても実践できるものではありません。
だから「みんなの動きを2割早くしよう。」とお願いされたそうです。それなら移動している時や掃除する時も誰でも意識的に取り組めます。

初めに全社員にお願いしたのがたったこの三つです。
もちろん他にも色々策を講じられていますが、何より一番大事なことは従業員だということ。
それが分かっていなかったから経営のプロ集団の野村は失敗したのです。

誰がお客様と接するのかということ。
それは従業員です。従業員が変わらないと変わらない。
それで誰でも実践できる一番大事な基本の三つだけをお願いされたとのことです。

「何が一番大事なのか?」
それが分かっていないと、どれだけすごいことをしたとしても成功はしないということ。(野村がいい例です。)でも一番大事な事って見失いがちなんですよね。

みなさんは一番大事なことを見失っていないでしょうか?


こんな単純なことが大企業でも出来ていなかったのですね。

足下の実践が如何に大切なことか。

# by 8jyou | 2011-11-01 19:10 | 感動、発見 | Trackback | Comments(0)

辞世

小林正観さんの辞世

我が形見 高き青空 掃いた雲 星の夜空に 日に月に

良寛さんの辞世

形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉

同じ思想を感じるのは私だけではないでしょう。



正観さんの告別式の最後に親族を代表して正観さんの弟さんが挨拶された。

正観さんの弟さんは18才年下とのこと。

正観さんが大学を目指して受験勉強をしていた頃、弟さんは生まれました。

お母さんはふくよかだったので妊娠していることも正観さんは知らなかったそうだ。

その頃、父親とはあまり会話も交わさない状態になっていたので、病院から父親が帰ってきて、一言「生まれた」と告げると、正観さんの返事は「何が」と言ったと弟さんは仰いました。

ここで会場から、どっと笑いが出ました。私も思わず笑ってしまいました。

弟さんが物心ついた頃には、正観さんは父親から勘当されていましたので、兄と一緒に過ごした記憶はないとのこと。

しかし、母親から聞かされていた正観さんの話は、頭が良くて、スポーツも得意で、性格も素直でスーパースターのような存在だったと仰っていました。

本日ここに沢山の方が亡き兄のためにお集まりいただいたのを見たときに、やはり兄はスーパースターだったんだなと感じました、と仰っておりました。


亡くなってからも笑いを届けてくれるサプライズを用意していたのでしょうか、正観さんは。

こんな爽やかな告別式は生まれた初めての経験でした。

# by 8jyou | 2011-10-28 09:54 | 小林正観の世界 | Trackback | Comments(0)

代受苦者

代受苦者とは「本来私が受けていたかもしれない痛み苦しみを代わりに受けてくれている人」という意味だそうだ。

瀬戸内寂聴さんが東日本大震災発生後、被災地の人々は自分たちの代わりに苦しんでくれている、そう考えれば、被災地以外の人々も“人ごと”ではなくなるのではないかと発言されと言う。


小林正観さんは生前の講演の中で、このようなことを仰っていた。

家族の中に障害者がいるときに、ともすると障害者を家族の厄介者として扱いがちだが、こう考えてみては如何ですか。
その人は自分の身代わりとして苦しみを引き受けてくれてる。だから自分は何の障害もなく健康で普通に暮らせている。
そう思うと、自分の身代わりになってくれている障害者は神様に思えてきませんか。

こんな内容だったと思う。

私の家族にも障害者がいる。

私の2人の叔父は人生の途中で精神的な障害が発生し精神病院を何度も入退院を繰り返した。

私が中学生の時、保健体育で精神障害の事を授業でやったことがあった。周りの同級生は、先生の話に笑い転げていた。普通の人とだけ接していれば、障害は笑いの種だ。
でも私は笑えなかった。身内が病気で苦しんでいる。どうやって治したらよいか方法が見つからないのだ。少年の私は、私なりにどうやったら治せるか、その授業に真剣に耳を傾けるしかなかったのだ。

もちろん答えは見つからなかった。

叔父の二人は私にとっては、子供時代に山遊びを教えてくれたり、いつも父に代わって自分と遊んでくれる優しい存在だったので、この人達の人生はどんな意味があるのだろうか、人生を全うできなくてさぞや悔しいだろうなと思ったりした。


一人は亡くなり、もう一人は存命だが、数年前に正観さんの言葉を聞いて、そうか家族が健康で幸せに暮らせているのは、この人達が身代わりになってくれていたからなのだ。

そう思えたとき、心からありがとうございますと心の中で手を合わせることができた。

そして、今回、代受苦者という言葉を教えていただいた。

見える世界はほんのちょっとだ。

可視光線も電磁波のごく一部だ。

見えない世界を認識できたとき、見えてくるものがある不思議。

正観さんが残してくれた多くの著書がこれからの私の生きる指針だ。

# by 8jyou | 2011-10-22 17:29 | 小林正観の世界 | Trackback | Comments(0)

正観さんの告別式に参列してきました。

10月16日午前10時蒲田の葬祭場での告別式に参列してきました。

全国各地から正観さんファンが600~700人位集まりました。

悲しいはずなのに深刻な顔をするのもなぜか変な感じがして、どういう顔をして会場に行けばよいかと思って受付まで行った。

この葬儀に参列している人々で義理で来ている人は一人もいない。

正観さんの著書や講演会など何らかで御縁を頂き心が軽くなった人々の集団なので、今日もなんか楽しんでゆけそうな、そんな感じが人々の間から伝わってくる。

そう感じたのは私だけではないと思いたい。

悲しいんだけれども、ありがとうございますと言いたくなる、そんな空気なのだ。



あちらに行っても冗談を連発しているのかなと思ってしまう。

ここに集った人々は感謝という2文字で繋がっている人たちだ。

それぞれに正観さんとの思い出を巡らせて、心に浮かんでくるのは『ありがとう』『ありがとうございます』

またいつか会える、きっとみんながそう思っている。

そんな不思議な告別式でした。

外は秋晴れ、真っ青な空にいわし雲。正観さんが天に昇ってゆくのにぴったりの天気でした。

# by 8jyou | 2011-10-17 20:56 | 小林正観の世界 | Trackback | Comments(0)

訃報 小林正観さん死去

昨晩ネットで小林正観さんの死去を知った。

10月12日午前5時38分(弔辞ではそう言っていました10月17日変更)62才で逝去されたとのこと。

ご冥福をお祈りいたします。


人は生まれる前に全部シナリオを書いてきた。

どういうところで、どういう名前で生まれ、どのような人生を歩み、いつ死んでゆくかを生まれる前にシナリオを書いて生まれた来ると正観さんは仰っていました。

2年前に奇跡の生還を果たしたこともシナリオ通り、そして10月12日に亡くなることもシナリオ通り、淡々と生きて淡々と死んでいった正観さん。


その生き方はお釈迦様にも似ており、多くの人々に生きることの意義を説き続けた人生でした。


正観さんは前世は、石田梅岩ではないかと言われております。

正観さんは、ある日、天からの声であなたは300年ぐらい前にこれこれこういう人生を歩み死後200年ぐらいその教えは人々に影響を与え続けたと教えられた。

それまで全く知らない名前だったが、歴史書を調べてみると石田梅岩という名前にたどり着き、梅岩の歩んだ人生を見てみると、今生の正観さんと同じ人生だった。

ちなみに、こばやしせいかん と いしだばいがん をくらべてみると同じ文字が5つも重なる。

アナグラムという言葉遊びだそうだが、名前も似ている、歩んだ人生もほぼ同じ、やはり人は生まれる前にシナリオを全部決めてくるのかなと思ってしまう。

葬儀は10月16日に執り行われる。

正観さん、人生の楽しさを教えていただいてありがとうございました。

300年後にまたお会いしましょう。

# by 8jyou | 2011-10-14 09:26 | 小林正観の世界 | Trackback | Comments(0)

フェイスブック始めました

新しもの好きの私、遅ればせながらフェイスブック始めました。

よく分からないのだけれど、とりあえず私の名前(小祝年織)をFACEBOOK上で検索すると友達になれます。

小祝という名字は氏姓字典にも出ていない数少ない名字なのだが20数名の方が検索できた。

どの方も私の知らない方だったが、小祝のルーツ探しに使えるかもしれないと密かに思っている。


私は、全くアナログの複写ハガキも続けている。

どちらもそれぞれに長所があるので、続けてみようと思う。


まずはやってみることだ。

皆さんお友達になりましょう。

# by 8jyou | 2011-09-29 19:52 | 感動、発見 | Trackback(1) | Comments(0)

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