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私達の身体は宇宙からの借り物

GAIAというブログがある。

二宮尊徳先生の研究をされている方で、小田原でお会いしたときに二宮尊徳先生ゆかりの地を案内していただいたことがある。

二宮尊徳先生の研究に関しては日本一ではないかと思う。

戦前は知らない人はいなかったと思うが、戦後生まれの人間にはなじみが薄い。

しかし、知れば知るほどこのような偉人はいないのでは無かろうかと感嘆してしまう。

GAIAさんは二宮尊徳先生ばかりではなく、多くの偉人を紹介してくれている。

現代に生きる人では、村上和雄筑波大学名誉教授もその一人だろう。



表題にある記事を載せているので転載させていただく。

私たちの身体は、実は宇宙からの借り物であるわけですby村上和雄 [ 斎藤一人・五日市剛・今野華都子さんの世界 ]

「運命をひらく小さな習慣」を繰り返し読んでいる。
村上和雄筑波大学名誉教授と今野先生との対談集である。

そのなかで、村上先生がこんなことをおっしゃっている。これは尊徳先生が夜話で言われることとと同じである不書(書かざる)天の経文を読める人は、同じように読むのだなあと感銘を受ける。

「運命をひらく小さな習慣」70ページ


私はまず、「自分とは何か」ということを考えてみたいと思うのです。

普通、私たちは「自分は自分のものだ」と思っていますから、改めて「自分とは何か」などと考えないでしょう。

しかし、自分の身体は本当に自分のものなのかと考えると、そうではないのではないか、と私は思っているんですよ。

なぜかというと、私たちの身体は、酸素とか窒素とか水素といった元素からできていますが、それらはすべて地球にあるものだからです。
 

そして、それらの元素からなる私たちの身体は、細胞レベルで見れば、数年もしたら完全に入れ替わっています。

そう考えれば、私たちの身体は、地球の元素を借りてできているものという見方もできるわけです。

では、地球の元素はどこから来ているかといえば、宇宙から来ているわけでしょう。つまり、私たちが「これこそ自分のものだ」と思っている身体が、実は宇宙からの借り物であるわけです。

その証拠に、人間はー他の動物もそうですがー寿命が尽きれば身体を返しているでしょう。死亡率は百パーセントですから、全員が全員、身体を返すことになる。「俺だけは」という例外はありません。

私たちは、地球あるいは宇宙から身体をレンタルしているのに、レンタル料を一銭も払っていません。仮に人間のように精巧にできたロボットができたとして、それを借りるとすると、これは大変なことで、莫大な金額を払わなくてはならないでしょう。

私はよく言うのですが、細胞一個が偶然にできる確率は、一億円の宝くじに連続百万回当選するようなもので、奇跡に近いことなのです。そんな細胞を人間は60兆個も持っているのですから、莫大なレンタル料を払わなければならない。言い換えれば、私たちは宇宙から莫大な借金をしているわけですね。

しかし、その宇宙―私の言い方では「サムシング・グレート」ですがーは「レンタル料を払え」なんてケチなことは言わない。だから私たちは勘違いして、自分の身体を自分のものだと思っているわけですが、「自分の身体は借り物である」と気づくか気づかないかによって、人間は大きく変わってくるはずです。

 さらに言えば、自分の身体だけではなく、私たちは自分の女房とか自分の土地とか家とかいいますが、全部が借り物なわけですよ(笑)。その本当の意味がわかれば、いろいろなことに感謝できるようになるのではないでしょうか。


二宮翁夜話

【10】尊徳先生はおっしゃった。
「親が子を育てる、農民が田畑をつくる、私の道と同じである。
親が子を育てる、たとえどうしようもない子どもであっても、養育料を請求したりしようか。
農民が田を作る、凶歳であれば、肥料代も仕付け料も皆損である。
この道を行おうと欲する者はこの理をわきまえるべきである。
(略)
人と生れ出た以上は、必ず死ぬものと覚悟する時は、一日活きれば則ち一日の儲けである、一年活きれば一年の益である。
それゆえに本来の自分は身体もないもの、家もないものと覚悟するときは、あとは百事百般皆儲けである。
わたしの歌に かりの身を 元のあるじに 貸し渡し 民安かれと 願ふこの身ぞ
この世は、私も人もともに僅かの間の仮の世であるから、この身は、仮の身であることは明らかである。
元のあるじとは天のことをいう。
この仮の身を自分の身であると思わず、生涯一途に世のため人のためのみを思って、国のため天下のために益のある事のみを勤めて、一人でも一家でも一村でも、困窮を免れ、富裕にし、土地を開拓し、道や橋を整備し、すべての人々が安穏にこの世を渡ることのできるようにと、それのみを日々の勤めとして、朝夕願い祈って、怠らない我がこの身である、という心で詠んだものである。
これがわたしの畢生(ひっせい)の覚悟である。
わたしの道を行おうと思う者は、知っていなくてはならない。



肉体が借り物であるならば、真の自分とは何なのだろう。

マザー・テレサの言う「内なる神」なのだろうか。

100パーセント確実なのは、借りた身体を返す日が必ず来ると言うことだ。

貸してくれた相手の意に沿って使おうじゃありませんか。
by 8jyou | 2010-05-15 09:49 | 感動、発見